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朝倉通信 11 サイレン山
街の中心近くにまで、せり出しているのが、織姫山です。 中腹に、織姫神社があります。 織都、足利を守護する、姫神様にふさわしく、赤い社殿と、緑色の屋根が、あでやかです。 以前は、もっと下のほうにありましたが、火事で燃えてしまったので、今の所に再建されたそうです。
大切な守護神が、二度と燃えてしまわないように、と、その頃には珍しいコンクリート建てです。 長い石段の手すりには、水道管が通っていて、夏でもひんやりと涼しい手触りです。 この頃は、お祭りの時以外は、参拝する人もまばらで、ひっそりとしています。
織姫神社があるから織姫山で、もとは、魚住さんと言う人の持ち山だったから、魚住山だとか、お月見にちょうど良いから月見山だとか、聞いたことがありますが、子供達は、
サイレン山と言っていました。 東の中腹に、サイレンの塔があって、毎日正午にうなって、時刻を知らせていました。 だから、サイレン山で、大人も子供も、それぞれ、都合のいいような名前で呼んでいたものです。
JR足利駅だって、"両毛駅"だし、東武伊勢崎線の足利市駅は"東武"ですんでいるし、 渡良瀬橋も"鉄橋"と言ったほうが、わかりやすいのです。
足利学校だって、いまは、"足利学校"ですが、ちょっと前までは、足利のにんげん(足利で生まれ育った者、と言うほどの意味です)は、"学校さま"と呼んでいました。 もうちょっと年配の人の中には、"孔子さま"とか、"孔子廟"と言う人もいました。 学校の中に、孔子様をまつった廟があるからです。
学校さま、大日様、と呼んだほうが、親しみがあって、ほんとうに足利のにんげんに、深く、ゆかりがある、という感じがします。 まわりの町にも、昌平町とか、元学町とか、中国の古典にちなんだ名前がついていて、学徒三千人、と言われた時の繁盛ぶりが、しのばれます。
1999・5・20
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