朝倉通信 14 人力車
昭和が二けたになった頃の両毛駅には、人力車がありました。
今、駅前でいつもタクシーが客待ちをしているのと同様に、汽車から降りるお客を待っていました。
黒い、ピカピカの車体と、真っ赤なひざ掛け毛布が備えてありました。 かじ棒は、地面においてあったので、乗る時は、前のめりになったような車の、前のほうから乗ります。
腰掛けに腰をおろしても、前のめりになったような形です。 しっかりつかまっていないと、車夫さんがかじ棒を持ち上げたときに、後ろにころがってしまいます。
走るのも、むずかしいのでしょうが、乗るのも、なかなかコツのいることでした。
いつ頃まであったのかおぼえていませんが、戦争が始まる頃には、なくなってしまったのでしょうか。
両毛駅から西にむかって、線路ぞいに低い土手がありました。 いまでも、その名残が、二丁目の踏みきりのところから、三丁目の踏みきりのあたりまでにみられます。
伊勢町の本家から、緑町の伯母さんのうちに行くのに、この土手の上を歩いて行くのが、 一番の近道でした。 土手を降りると、家々の裏ともつかず、庭でもない路地を、たどって行きます。 手ぬぐいを、染めている家があって、薄暗いひんやりした土間に、長く、布がひっぱってあって、模様の糊をさしたり、藍で染めたりしているのを、覗き込んで見ていても、邪魔だと叱られたことは、ありません。
駅の近くには、線路ぞいに、三味線の音色が聞こえて来たり、連子格子の窓などのある、粋な家が集まっている界隈がありました。
岩井山のあたりの、川の南側には、生糸や、織物を大きく扱っている問屋や、織り元があって、そこの旦那衆が、日暮れになると、船で川を渡って、そのあたりに、夜な夜な、あそびに来た、ということです。 人力車をつらねて、紅灯の巷にくりだして行った人達も、あったことでしょうね。
(1999・7・2)
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