朝倉通信 2 オトカ
足利は、まちの中を渡良瀬川がながれ、北にたくさんの低い山がつらなっています。
その山の尾根づたいに、奥へ奥へとたどって行くと、やがて日光の山へ、つくそうです。でも、行ってきた人の話は、聞いたことがありません。 山のひだのあいだに家がたち、沢の流れにそって町をつくり、人々がすむようになりました。
名草というところがあります。昔、支那ソバの屋台をひいて、商ないにいった人がありました。支那ソバというのは、今のラーメンのことです。よく売れて、帰ろうとしたときに、美しい娘が一杯たべてゆきました。商ないを終えて家にかえり、売上をしらべたら一杯ぶんたりません。お金の箱をよくみたら、木の葉が一枚はいっていましたとさ。
「あのきれいなあねさまは、”オトカ”だったのだ」と、気がつきました。”オトカ”ってなんだか知っていますか? 雨上がりの夕方、山のすそを行列が行くそうです。そのとき、人々の足がみえなかったら、それは、”オトカ”の嫁入りだそうです。そう、”オトカ”って、狐のことだそうですよ。
毛里田村にも狐の話があります。ある人が、婚礼によばれてたいそうご馳走になりました。「もう夜がおそいから、とまらっせ」と、その家の人がいうのもきかずに帰りました。朝になっても戻らないので、みんなが心配してさがしにいったら、里芋畑のなかで首をふりふりすわっていました。おみやげのご馳走をねらった狐に化かされて、一晩中、里芋畑ですごしたそうです。もちろんご馳走はたべられてしまいました。
朝倉のひとが、渡良瀬川に、夜、投網をうちにいったときのはなしです。夜でもあかるい今とちがって、昔の夜は真の闇で、なにも見えないのになにか気配がします。
ためしに石をひとつ、なげてみました。
ポチャン! すると、あっちでもポチャン!
「狐だな!」 こんどは投網をなげました。すると、あっちも パシャッ! なにをやっても真似をします。
狐は一体、なんのつもりでまねをするのでしょうね、腰につけた、おべんとうのおにぎりがほしかったのかな?
近所のおばあさんにきいた話です。「いつ頃のことですか?」ときいたら、「そうさなあ、五十年もまえのことかいね、」といっていました。
そういえば、そのころ、朝倉はそんなところでしたよ。
1999・1・30
|