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昭和46年頃の冬

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最終回

 

 

   

朝倉通信 5  渡良瀬川

 JR足利駅の南から、岩井山のあたりを、十念寺川原といいました。足利学校も、もとはそこにありましたが、渡良瀬川がたびたび氾濫するので、いまのところに引越したのだそうです。競馬場などあって、草競馬でとてもにぎわったそうです。

 足利駅のうらのほうに池があって、”夕方になると、お化けが出る”、という噂がたちました。池の底から、おそろしいうめきごえがするというのです。うわさが噂をよんで、毎日大勢の人があつまり、しまいには、たべもの屋の屋台まで出るさわぎになってしまいました。 
「いま考えると、あれはきっと、食用蛙の鳴き声だったんだよ」
と、これは大きいおばあちゃんが小さかったころのお話です。
飛行機が飛んでくるからといって、川原に綱をはって見物席をつくり、みんな、お金をはらって、空をとんでくる飛行機を見にいったという、のどかな時代でした。なんだか、ほっとする気分になるおはなしですね。

 渡良瀬川は、昔はよく氾濫して、みんなをこまらせました。昭和22年の台風のときには、かみ(上流)のほうの堤防がきれて、大洪水になり、大勢の人が死にました。そのとき渡良瀬川は、昔の川筋のとうりに流れたといいます。その後、流れを調整し、堤防もなおしたので、洪水はなくなりました。

 もっと昔、川は、明神山にぶつかって、二手にわかれて流れ、山の西側に深い淵をつくっていました。村の、誰かの家で、人よせがあるときは、その淵のよどみにむかって、よびかけると、お椀やお膳などが、人数分だけ浮かんできてかりることができました。
それはたいへんありがたいことでした。用がすんだら、また淵になげこんでおけばよかったのです。ところが、ある人が、借りたまま返しませんでした。それきり、あとはいくら頼んでも、お膳やお椀が浮いてくることは、二度とありませんでした。
 白倉が淵、といったそうです。今は、跡もみることができません。たくさんの昔話のあとも、いつのまにか、みんな消えてしまいました。

1999・3・10

     
   
 
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