緑葉房ホームへこのサイトの目次
緑葉房と緑葉染について 染め草たよりへ 緑葉染展へ 朝倉通信トップへ

 

 

朝倉通信トップ

1.桜

2.オトカ

3.明神山

4.三栗谷用水

5.渡良瀬川

6.大日さま

7.早川農園

8.銘仙

9.逆さ川

10.水車

11.サイレン山

12.小泉新道

13.花火

14.人力車

15.大通り

16.富士山
昭和46年頃の冬

17.山辺三山
最終回

   

朝倉通信 17 山辺三山

       
 五月は、足利のいちばん美しい季節です。 あたりの山々が、さまざまな色の緑におおわれます。 緑って、こんなに沢山の色があるのだ、とおどろきます。 匂うような緑、もえたつみどり、しみいるみどり、輝くみどり。 

 南小の西門のあたりから北をみると、こんもりとした山が三つみえます。
 左に八幡山、中に浅間山、右に明神山。 これは、"山辺三山"とたたえたいほどのかっこよさです。どの山も古墳の山です。 ここ朝倉地区には、大昔から、とぎれることのない、人々のくらしが、ありました。

 朝倉通信を読んでくださった足利の方々から、「なつかしかったよ」と言っていただきました。 
「そういえば、牡丹園もあったよね。」
そうそう、東武駅のそばにありました。牡丹の花が終わった夏には、お化け屋敷がかかりましたよね。花火を見ようと、屋根に大勢の人が乗ったので、屋根が、お化け屋敷の中に落ち、おおさわぎになったんですってね。
「鉄橋の下で水浴びしたよね」そう、男の子たちが、橋脚から飛びこんで泳いでいました。貸しボート屋もあって、私も乗ったことがありましたよ。いまでは考えられないことです。

 「屋台のやきそばはうまかったなあ…」おじさんが、ちりんちりんと、かねを鳴らしながら屋台を引いてきて、三角に折った新聞紙にいれてくれました。 ソースのにおいと、新聞紙の匂いがまじりあって、あんな美味しいやきそばは、ありませんでした。

ソースといえば、"すなが"のコロッケを思い出しませんか? ハンバーグも、フライドポテトもなかった頃、たっぷりソースのかかった"すなが"のコロッケは、中学生のおやつの定番でした。 毎朝、自転車でやってきて、からしと青海苔をおまけしてくれた納豆やさんも、いつのまにか、来なくなりました。

 思い出せば、あんなこともあったし、誰かさんが、こんなこともいっていたし、お店を閉めてしまった学校のまえの文房具やさん、このあたりに、一軒しかなかった魚やさん、風呂敷マントで塀の上からとびおりた小さなスーパーマンたち、夕焼けのお鎮守さまにひびく子供達の声、静かな夜にきこえる三栗谷用水のザーザーのおと。

 ながいあいだ、つたない思い出ばなしにお付き合いくださいまして、どうもありがとうございました。 朝倉通信は、これでおしまいです。

 お読みいただきました方々と、"朝倉"に心からの感謝をささげまして、"さようなら"を申しあげます。

(2000・2・20)