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朝倉通信 17 山辺三山
五月は、足利のいちばん美しい季節です。 あたりの山々が、さまざまな色の緑におおわれます。 緑って、こんなに沢山の色があるのだ、とおどろきます。 匂うような緑、もえたつみどり、しみいるみどり、輝くみどり。
南小の西門のあたりから北をみると、こんもりとした山が三つみえます。
左に八幡山、中に浅間山、右に明神山。 これは、"山辺三山"とたたえたいほどのかっこよさです。どの山も古墳の山です。 ここ朝倉地区には、大昔から、とぎれることのない、人々のくらしが、ありました。
朝倉通信を読んでくださった足利の方々から、「なつかしかったよ」と言っていただきました。
「そういえば、牡丹園もあったよね。」
そうそう、東武駅のそばにありました。牡丹の花が終わった夏には、お化け屋敷がかかりましたよね。花火を見ようと、屋根に大勢の人が乗ったので、屋根が、お化け屋敷の中に落ち、おおさわぎになったんですってね。
「鉄橋の下で水浴びしたよね」そう、男の子たちが、橋脚から飛びこんで泳いでいました。貸しボート屋もあって、私も乗ったことがありましたよ。いまでは考えられないことです。
「屋台のやきそばはうまかったなあ…」おじさんが、ちりんちりんと、かねを鳴らしながら屋台を引いてきて、三角に折った新聞紙にいれてくれました。 ソースのにおいと、新聞紙の匂いがまじりあって、あんな美味しいやきそばは、ありませんでした。
ソースといえば、"すなが"のコロッケを思い出しませんか? ハンバーグも、フライドポテトもなかった頃、たっぷりソースのかかった"すなが"のコロッケは、中学生のおやつの定番でした。 毎朝、自転車でやってきて、からしと青海苔をおまけしてくれた納豆やさんも、いつのまにか、来なくなりました。
思い出せば、あんなこともあったし、誰かさんが、こんなこともいっていたし、お店を閉めてしまった学校のまえの文房具やさん、このあたりに、一軒しかなかった魚やさん、風呂敷マントで塀の上からとびおりた小さなスーパーマンたち、夕焼けのお鎮守さまにひびく子供達の声、静かな夜にきこえる三栗谷用水のザーザーのおと。
ながいあいだ、つたない思い出ばなしにお付き合いくださいまして、どうもありがとうございました。 朝倉通信は、これでおしまいです。
お読みいただきました方々と、"朝倉"に心からの感謝をささげまして、"さようなら"を申しあげます。
(2000・2・20)
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