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昭和46年頃の冬

17.山辺三山
最終回

 

 

   

朝倉通信 12  小泉新道

  足利には、切り通しと言うところが、いくつもあります。
七丁目の切り通し、田中の切り通し、八幡の切り通し、等々。 低い山にかこまれた足利は、他の町へ行くのに、山と山の間の細い道を、あるいて行かなければなりませんでした。 細い道を、荷車が通れるほどに、切りひらき、切りひらきして、近隣の町との交通の便利をはかりました。   

 東武の駅から、南にはしる小泉新道は、田中の切り通しを通ります。 ほんとうに細い道で、家のひさしをかすめながら、一日に何本も、バスが通っていました。 車社会とは、縁のなかった時代のことですから、足利の南の人達には、なくてはならない"あし"でした。 その頃、田中の切り通しから南は、舗装もしてなくて、雨の日は泥んこに、乾けば埃をまきあげて、バスがはしります。 

 冬は、西の方に、雪をかぶった浅間山(あさま山です、せんげん山ではありません)が見え、空っ風が、うなりながら、駈け抜けてゆきます。 小さい子供などは、田圃にふき落とされてしまいそうな勢いでした。 まだ朝倉は、小泉新道のほかは、畦道や、農道にそって、家が建つ、と言うようなことで、ようやく、町の形が見えて来たところでした。 小学校四年生の教科書に、"ひらけゆく町"というタイトルで、小泉新道の、朝倉の商店街の絵がのっていて、朝倉は、そんな田舎なのかな、と思いました。 

 八幡の切り通しは、バスも通らない山越えで、いまでも、夜は淋しいところです。 突然、猿がでて、おばあさんが、驚いてころんでけがをしたなんて話、つい、このあいだ聞いたような気もしますが……  その切り通しを越えると、山辺小学校があります。  

 足利の中心の人口が段々へるのと前後して、南の方の人口が増えはじめ、山辺小のほかに、もうひとつ、南小ができました。 区画整理で、暮らしが便利になりましたが、なってみると、不便でもよかったことが、見えてくるものですね。 小泉新道も、ずっと前に舗装され、新しく出来た道は、車のためのもので、山は小さくなり、切り通しはただの道路になり、お猿どころか、乗合いバスのすがたさえ、見えなくなりました。                                                        

1999・5・20   

     
   
 
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