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朝倉通信 9 逆さ川
足利公園の西から出て、街をかこむ山々のすそを流れる川があります。
ほんとうは、柳原用水といって、灌漑用水として開削されたものだと言うことですが、 通称、さかさ川とよんでいます。 この辺の川は、北から南に、そして当然のことですが
山から平地に向かって流れます。 ところが、この逆さ川は、街にはいったところから、 山にむかって、流れて行きます。 足利市に長く住んでいると、毎度見なれていることなので、普段はなんとも思いませんが、あらためて見てみれば、やはり不思議です。
"足利の七不思議"の、ひとつになっています。
この川が時々、赤くなったり青くなったりすることがありました。 そっちのほうが、七不思議ではないか、と言われそうですが、これは、染色工場が流す、水のせいなのです。
織物の街には又、染色工場もたくさんありました。 糸を染める所が多かったようです。 親戚にも一軒、染色工場があって、ここでも、糸を染めていました。 工場の中は、いつも、もうもうと湯気が立ち、ボイラーが、一日中、ごうごうとうなっています。 酸っぱいような匂いがして、工員さん達は、ゴムの前だれをかけ、ゴム長をはいて仕事をします。 長方形の、お風呂を大きくしたような染槽の中に、お湯や、染液が入っていて、糸のカセを竹の棒に通して、端から端へと、何度もくりかえし動かします。 この槽の栓を抜くと、中の液がどっと流れだし、逆さ川が、赤や青になる、と言うわけです。
織る、染めるために、水は、かかせません。 ことに、"染"にとって、水の良し悪しは、大変、重要です。 だから、織や染は、山から流れる沢にそって、栄えてきました。
山と水に恵まれた足利は、織や染にとって、場所的にも、よかった所なのでした。
朝倉にも、糸を染めている家がありました。 庭に糸干し場があって、色とりどりの絹糸が風にそよいでいるのが、塀の外からでも、よく見えました。 隣の家も、先々代までは、染色業を営んでいた、ということです。 絹織物が、衰退すると共に、染色工場も、次々に閉鎖され、逆さ川を、色水が流れる様子も、見られなくなりました。 学校へ行きながら"きょうは、何色の水かな"とのぞいて見るのが、けっこう、たのしみでしたけれどね。
1999・5・14
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